フジコ
フジコとは?
「殺人鬼フジコの衝動」真梨幸子著(徳間文庫)
2011年5月に文庫化されると、愛憎渦巻く世界観、精緻(せいち)なミステリー性。予測不能のストーリー展開、そして驚愕のラストが口コミで話題を呼んで人気を博し、
刊行から一年を経たずに50万部を突破する大ベストセラーとなった。いわゆる”イヤミス”の代名詞的作品。
フジコ・尾野真千子
最初。台本を読んだ時、「殺人はあってはまならない悪いもの」という思いから断りたいと思いました。台本の読後感が「むごい、ひどい、つらい」の三拍子で、とてもひとかったからです。正直、こんな衝撃的な役どころから自分を守りたいと思いました。そんなとき、「凶悪」(脚本の高橋泉が日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞した映画)を観て、「できるかもしれない」と思いました。それでも不安がとれないまま撮影に入り、決して納得して演じたわけではなかったのですが、つくり手の誠実さに賭けました。一言だけでは片付けられない。人間の深部に。問いかけてくれる部分があるドラマだから、ふんぎりをつけ、受け入れ、チャレンジするように飛び込むことができました。主入公のフジコは、客観的に見て狂気そのもので酷い女性ですし一方で可哀そうだとも思いました。この女性はいつ幸せだったのだろうと思いました。フジコなりの幸せは時々あるようでしたが、私たちから見ると可哀そうな人。殺人への衝動の飛躍が凄すぎるし、最後まで共感は一切できませんでした。フジコより他の人が可哀そうでした。私なりの解釈でこの破滅的な女性を。を演じきりましたが、演じていてとてもつらかったです。起伏の激しい平常心でいられない役柄でしたので、とても疲れました。疲労感が凄まじかったです。私にとっては、それだけ全身全霊で入り込めた役ということです。どうなるんたろう、狂気しかないんじゃないかと不安が90%でしたが、完成したものを観てみると、人の痛みもわかりますし。響くものがいっぱいあり、実は泣けました。やってよかったなとやっと思えた作品ですので、ぜひ。楽しみにしていてください。
フジコの予告動画は、こちら
フジコのあらすじ ネタバレ
一家惨殺事件の生き残りとしてトラウマを負った11歳の少女フジコ。だが彼女の人生はいつしか狂い始めた。「あたしは人生をリセットできる女」―、呟きながら殺害を繰り返していく。なぜ彼女は殺すのか? 誰が彼女の家族を殺したのか? 愛への渇望か、幸せへの執着か、真実が明かされるとき、最高の後味の悪さと驚愕のラストが、観る者を戦慄と慟哭へと突き落とす。
フジコの作品概要
フジコのキャスト紹介
フジコの感想
どれだけ殺したら幸せになれるの?という衝撃のキャッチフレーズが印象的なHuluオリジナル、サイコサスペンスドラマ「フジコ」。原作は2008年に出版された真梨幸子のベストセラー小説「殺人鬼フジコの衝動」。50万部以上を売り上げているヒット作で、長らく映像化不可と言われていたため初のドラマ化であり、注目されている作品である。
始まりは記者である高峰美智子(谷村美月)の元に届いたとある伝記。その原稿には世間が注目している大量殺人鬼フジコ(尾野真千子)の半生が書いてあり、送り主は3日前に自殺したフジコの実の娘、上原早季子からのものであった。同梱されていた高峰宛の手紙には、これを出版してくれることを切に望む、という一言だけが書いてあった。高峰は、ジャーナリストとして光を当てたいのは被害者であり、加害者視点の記事は書けないと取材を拒否するが、娘の上原早季子も被害者であることや、早季子の入っていた天水教というカルト教団の謎などからヒット作になると確信し、どんな手を使ってでも取材協力を受けるようにと編集長の水谷(リリー・フランキー)から命じられる。しぶしぶ中身を検閲する高峰だが、その中には赤銅色に汚れた1000円札が数枚・・・それを握りしめ、宙を見つめる高峰。
初めての取材後、高峰は「殺人犯の気持ちなんてわかんない」とぼやくが、恋人である若村春(丸山友己)に「取材相手との距離ははっきりしたほうがいいよ。殺人犯に取材してるの?それとも、上原フジコに取材してるの?自分の言葉で話してみたら?」と励まされる。そして高峰はフジコの取材を取り付け、伝記を手にフジコの過去を回想していく。
フジコの夫、上原英樹(高橋努)は会社の社長だった。近所の人間にはチンドン屋のようだ、もうすでに会社は傾いているのにと噂していた。しかし、派手な生活を崩さず見栄を張るフジコ。整形や化粧品の訪問販売などで金を荒使いする一方、娘たちの給食費は滞納したままで・・・
それまで、フジコをただの殺人鬼だと言っていた高峰が、取材を通じて第1話のラストで涙を流す。高峰が涙するようなポイントなんてあっただろうか?と思いました。しかしその理由がすぐにわかりました。高峰にも、ある謎が隠されていて・・・
公式HPのフジコ役の小野真千子さんのコメントにはこの一文があります。「最後まで共感できませんでした。フジコより、他の人がかわいそうでした。」確かに、フジコの被害者たちは非常に理不尽な理由で殺されています。尾野さんは、フジコという役に憑依していたからこそ、生身の尾野さんに戻った時に「他の人」つまり被害者の人がかわいそうという発言になったのではないかと思います。それほどまでに、尾野さんのフジコとしての演技は恐ろしいものがありました。
しかしそれよりも恐ろしいと感じたものが・・・このドラマ、フジコよりももっと狡猾であくどい人間が出てきます。それがカルト宗教・天水教の関係者たち。息を吸うように嘘をつき人を陥れようとするそのサイコパスな悪人振りが非常に恐ろしく、殺人犯よりもっと身近な存在なように感じられ、背筋が凍るような感覚を覚えました。
映像化不可能とされていた小説で表現される独特のギミックが、ドラマでは非常に巧妙に表現されていました。視聴者側は、あれ?と思いながらも、その疑問に途中でやめることを許されない。その疑問が全て解けたときの高揚感や達成感が非常に爽快でした。
第1話から多くのギミックが散りばめられており、多くを語りたいのにも関わらず、ドラマを全て見たからこそ多くを語れなくなる。また、全て見終わった後にもう一度見返してみることで、このドラマの巧妙さやトリックがより面白く感じられると思います。
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